プロフィール
著者(PN):
月下香治
(かすか・よしはる)
Yoshiharu Kasuka

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2013年3月15日

2013年3月29日



2013年3月22日(金)

日本語の動詞の活用形の個数 (2) ローマ字の諸問題

 日本語の動詞の活用形の個数について考察する前に、考えておかなければならないことがあります。ローマ字分かち書き(spacing)です。どこからどこまでが動詞であるかが確定しなければ、活用形の個数も確定しないからです。
 一般的に外国語では、語と語の間に空白を挿入します。というより、空白と空白の間の文字列を「単語」とみなしています。一方、日本語には分かち書きの習慣がないため、「単語」の範囲がわかりにくくなっています。
 日本語の動詞は文の末尾に位置するので、動詞の語頭から文末(あるいは、明確な語彙的意味を持つ別の語の直前)までをその動詞の活用形とみなすという方針もないわけではありません。しかし、その場合は活用形の個数が無限に発散する可能性があります。否定形「読まない」はさらに否定して「読まなくない」と変化しえますが、語尾が同じ形になるため、理論的には「読まなくなくなく…」という無限の系列の活用形が存在することになるのです。何らかの理論に基いてこの無限の文字列を分割する必要があります。
 日本の小学校ではローマ字が学習されていますが、その主たる目的は人名や地名などの固有名詞を書き表すことで、文を書き表す際にどのように分かち書きするのかについては体系的に教えられていません。一方で、外国のアニメソング研究サイトでは、ファンがおそらく自ら考案したと思しき半ば自然発生的な慣習的な方式で分かち書きされたローマ字の歌詞が掲載されています。ここでは、そのような分かち書きを参考にして、文法的に妥当な分かち書きの方法を考察してみたいと思います。
 日本の国語教育では、「文節(sentence branch)」という概念が学ばれます。文節とは文の構成単位で、文中での文法的役割がわからなくならない範囲で分割された最小の表現です。学校では、間投助詞「ね」を自然に挿入できる箇所が文節の境界であるとも教えられています。文節は基本的にアクセントグループと一致していますので、文節の境界で分かち書きすることは自然であると考えられます。形容詞を否定する「ない」は独自のアクセントグループを形成するため、「読まなくなくなく…」は"yomanaku naku naku..."と分かち書きされます。
 文節の境界で分かち書きするだけでは十分とはいえません。日本語の名詞は語形変化しないので、名詞と助詞の間は分かち書きするのが自然です。同様に、動詞も一部の助詞とは分かち書きすることにします。
 学校文法における活用形のうち、単独での用例がある終止形命令形は、終助詞など、続く要素とは分かち書きします(終止形と形態を同じくする連体形は、終止形とは区別しないことにします)。単独での用例がない未然形仮定形は、続く要素とは分かち書きしません。特に仮定形は「-ば」が続く形態が唯一の用例ですので、この形態をここでは改めて「仮定形」と呼ぶことにします。
 多様な要素が続きえる連用形は、複雑な取り扱いを必要とします。語幹に音韻変化をもたらさない助詞とは分かち書きし、助動詞、あるいは語幹に音韻変化をもたらす助詞とは分かち書きしません。連用形が複合語の要素となる場合は活用とは異なるため、考察の対象外ですが、活用か語複合かの判定が困難な場合は、とりあえず複合語であるとみなすことにします。「読みなさい」は"yominasai"と綴るのが自然ですが、「なさい」は単独でも使用される別の動詞とみなし、「読みなさい」をいったん考察から除外しておきます。
 ただ単に分かち書きするだけなら、日本文字のままでも不可能ではありません。ローマ字にするのは、外国人学習者がローマ字で勉強しているからばかりではなく(そもそも学習者は文字から学ぶものです)、語形変化について考察するには音素文字のほうが都合がいいからです。ただし、「正書法的変化(orthographic change)」を考慮する必要があります。
 日本語のローマ字には大きくふたつの方式があります。日本語に本来あった音韻に単純な符号を当てる「日本式」と、実際の発音に近い文字を符号とする「ヘボン式」です。日本語の動詞の活用は、日本式で書けば規則性が明白ですが、ヘボン式では不規則に見える場合があります。文字と発音との関係がその言語の音韻体系と一致しないために、本来は規則変化する語の表記に特別の配慮を必要とすることを、「正書法的変化」といいます。
 「読む(yomu)」の否定形は「読まない(yomanai)」です。しかし、「立つ(tatsu)」の否定形は「*立つぁない(tatsanai)」ではなく「立たない(tatanai)」です。日本語では狭母音"i"と"u"の直前の子音は若干の音韻変化を被るのですが、一部の組み合わせでは外国人、特に英語話者の耳には別の音に聞こえるため、ヘボン式表記では不規則変化に見えるのです。
 しかし、現に広く普及しているヘボン式を無視することはできません。そこで、語形変化を考えている間は日本式で表記しているものとみなし、活用形が確定した時点で適宜ヘボン式に変換することとします。具体的には、「し/ち/つ」を表す文字を、中途では日本式で"si, ti, tu"、最終的にはヘボン式で"shi, chi, tsu"と書きます(「ふ/じ」は動詞の活用という面では考慮する必要はありません)。
 古典語からの音韻変化によって不規則変化に見える動詞もあります。「買う(kau)」の否定形は「*買あない(kaanai)」でも「*買ない(kanai)」でもなく「買わない(kawanai)」です。そこで、「-う」で終わる動詞はローマ字では"-wu"で終わっているとみなし、活用形確定した時点で"a"以外の母音字が続く"w"は省略されるものとします。
 また、ローマ字から最低でも日本語の平仮名に復元できるようにするため、長音のローマ字表記では文字の上に記すマクロン(長音符)ではなく、(どのように発音されるかにかかわらず)日本語の仮名を1文字ずつローマ字に変換することとします。「読もう」は、「ヨモー」と発音されるか「ヨモ・ウ」と発音されるかにかかわらず、"yomou"と表記します。
 次回は、他の言語の動詞の活用と比較しながら、日本語の動詞の活用を分析する方法を探ります。


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